読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

いつも真ん中で いよう

wake up call で目覚めたら 開いた目で何を見ようか

ヴィパッサナー瞑想とアカシックリーディング

  

3月に入ってから「アカシック」というワードが引っかかっていました。

お酒売り場では『あかし』というウイスキーを無意識に買い、今度行く旅は『あかし』で『明石焼き』を食べよう、と話していたり。それでも気づかないでいると、友人が『今度インナーチャイルドやアカシックリーディングの講座を受けようかな』と言ってきました。ストレートすぎる(笑) 

 去年自分で初めてアカシックを視て感動したのですが、それ以来成功したことがありません。そんな私のアカシック熱はすっかり冷めていました(笑)

 

mruru.hatenablog.com

 

少し話は変わりますが、2017年は『瞑想をしっかりできるようになろう』と思っていました。

ヴィパッサナー瞑想の本を読んで実践しています。座ったり横になってやる瞑想は、最近はいい感じでできているんじゃないかなと思います。

この瞑想は『観察』をする瞑想で、目を瞑り呼吸を観察し、割って入ってくる雑念も観察し、「痒み」も「痛み」も「暑さ」も観察します。最終的には呼吸の観察をしている自分が在るだけになります。

 

「痒み」を観察していたら面白いことに気づきました。私達は「痒い」と「かく」事が無意識にワンペアで起こるけど、「痒み」に着目するとそこには「痒い」ということしかないのです。「かく」という動作は「痒い」という意識上にはないんですね。それってどうゆうことかというと、「痒い」の意識を認識し観察し「かゆいかゆい」と思って眺めていると「痒い」は消えるってことなのです。・・痒くなくなってしまうのでかかなくていいのです。それって私はビックリしました。

 

今までやっていた私の瞑想も「痒い」時は「今私は痒い」と認識してはいました。でも何故かヴィパッサナーのように痒みは消えなくて我慢していた気がします。我慢するということはそこで瞑想という集中が途切れてしまうのかもしれません。何だか瞑想が上手くいかない?楽しくない? とずっと思っていたのです。

お釈迦さまがやっていたヴィパッサナー瞑想は、こうしてあるがままを観察し、観察することで削ぎ落としていき、『今ここ』だけが残ることを体感できるようになるのですね。

楽しいと思えなかった瞑想が、今は「瞑想は楽しいもの」と思えるようになりました。

 

ここで話はアカシックへと戻ります。

ここまで『あかし』を連発されると「アカシックを視ろってことかな?」と思うようになりました。

ヴィパッサナー瞑想を十分にやってさらに内側を光で満たすと、自然と去年守護神様が連れて行ってくれたアカシックへと繋がる道が見えてきて、今回も同じ道を行ってみました。するとアカシックに入る事ができたのです(*^^*) そして『現世の私に一番影響を与えている過去世』を視てくることができました。

 

その過去世をここに書くことはやめときます。その過去世があった記憶は当然ありませんし、自分で視たり聞いたりしたのに、まだ信じられない自分がいたりします(笑)

とはいっても人生を振り返ってみると、思い当たることがたくさんあります。ある仏様を懐かしい思いで見た感覚や、反対にその場に居ることがとても苦痛だったお寺もあったんです。何故か惹かれる暮らしがあったり、旅先の町なのに“ここ知ってる”と感じたのも、どれもその過去世のゆかりのものだった気がします。たくさんの?がこの過去世に繋がりました。その過去世があったから「あんな風に思ったんだ!」って腑に落ちました。

いつか見た雪まつりの輪廻転生というプロジェクションマッピングのように、私の内側で時輪曼荼羅がガチャンと動いた気がします。

 

mruru.hatenablog.com

  

「上手くアカシックにたどり着けなかったのは瞑想が上手くできていなかったんだ」

とわかりました。その後も同じようにしてアカシックを視ることができているので、ヴィパッサナー瞑想を始めたことが私にとってはよかったのだろうと思います。

 

いつか本物の信頼できる霊脳者さんに出会えたら、この過去世のことを確認してみたいなぁ~と思います。

とはいっても別に過去世が100%正しくなくたっていいとも思ってます。この出来事が人生をちょっとだけ楽しくしてくれましたので、素敵なエッセンスをいただいたと思って、大切にしたいと思います☆