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いつも真ん中で いよう

wake up call で目覚めたら 開いた目で何を見ようか

大切なもの

学び 気づき

 

年をとると涙もろくなるというけど、最近私も妙に泣けて参ってしまう。

地下鉄の階段で、エレベーターの中で、化粧をしながら、電話をしながら。

光景が心を打つともうダメみたい。

目の前の光景だけではなく心に映る光景でも、崩壊注意報。

 

 

 

この間病院のエレベーターで看護士さんに車椅子を押されたおじさんが乗ってきました。

 

パジャマの肩はズレているし髪の毛も寝癖のまま、あまり顔色もよくなく、手には二本の点滴が繋がっている。

起きがけに検査にでも行くのかな?そんなことを思いつつ視界の隅でおじさんを感じていました。

 

ボーッとしているそのおじさんが、エレベーターの中の大きな鏡に映った全身の自分を見ている。

すると点滴の繋がってる腕で寝癖の髪の毛をゆっくりと整えはじめました。

 

それを視界の隅で見ていた私の心に『尊厳』と響いたのでした。

 わぁ・・もうだめ。

胸が締め付けられ泣きそうになる。

 

 

 

自分で今は歩けなくても、人の支えを必要としていても、人は決して自尊心を失ったわけではない。

自分が自分でありたいと思っている。

 生まれたばかりの赤ちゃんも、病に倒れても、年老いても。

生まれた瞬間から終わる瞬間まで、人が人として生きる時、それはとても当たり前にその内側にあるものなんですよね。

 

 

 

最近私は哀しみの中に立つ人の心に寄りそうことが増えています。

その人を思う気持ちは自覚しているのに言葉にすることが難しいと感じることが多く、私の言葉に余計な一言があったのではないか?と思う事もしばしばあります。

相手を信頼し相手を尊重しそれ故の言葉や思いやりを、というところが、わかっていてもとても難しいと感じていました。  自分の力不足を感じます。

 

今回、人の『尊厳』の瞬間を見せられた気がしています。私が難しいと感じていた「思いやるが故」の微妙な温度のようなものの解釈ができた気がします。

『尊厳』はとても当たり前のこと。それがよくわかりました。

 

 

日々生きていることが学びなんだとつくづく思います。

大切なものをおじさんから学ばせていただきました。  

おじさん どうもありがとう。