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いつも真ん中で いよう

wake up call で目覚めたら 開いた目で何を見ようか

生きて走馬灯のように想い巡らす

数年前 久しぶりに同窓会がありました。

懐かしい人達との再会、楽しかったです。

当時一緒に無邪気に遊んだ友人達ですが、男の子達よりも女の子のほうがその当時に感覚が戻りやすいみたいで、賑やかに再会を楽しみました。

 

疎遠になってしまった人を見かけた時は、声をかけるべきかかけざるべきか、迷いました。「その節はどうも」と妙で、ぎこちないものになりましたが、声をかけてみました。。ただの挨拶とはいえ私の意識の中では、『疎遠になった人→再会した友人』に書き直されました。最後の印象は記憶の中のその人を形作るんだなー、と実感しました。

 こうやって2012年は今まで会うことのなかった人達と再会し、嫌でもその当時を思い出すことが多い一年でした。

 

 

思い出って良い事も悪い事もありますよね。思い出す作業は胸に刺さった小骨を取るようなモヤモヤ感があって、面白い作業ではないです。

だから前に進むのは頑張るけど、後ろを振り返るのはあんまり好きじゃない私です(汗)

「どうしてあの時喧嘩したんだっけ??」「私が勝手な解釈をしていたのだろうか??」なんて一人思い始め、本当のところは確かめようはないけれど、もっとお互いの話をきちんと理解できるまで話していれば良かったな、と大人になった今だから思うのでした。

 

 

過去を振り返るとそこには過去の私がいます。一生懸命生きていましたけど失敗もしてきた痛々しい私がいます。

過去に目を向けると失敗と思えるその経験は、たいてい自分の思い癖が招いていたと気づきました。

私のエントリー『ブログを始めたワケ』で触れましたが、『消去法の人生』がその癖を作ってしまったのかもしれません。

 

一番欲しいものを欲しいと言えない、一番したいことをしたいと言えない。「私には無理なのでどうぞどうぞ」と遠慮してしまう癖。人生の全般でこんな感じ。

もったいない人生を送っていたなーと思います・・。

消去法で選んだ選択肢で最高の成功を望んでもダメですね。

否定された「本当の希望」は否定を選んだ人生に実現はしません。

それに気づいた私でした。

 

 

自分の思い癖・思考のパターンに気づいた私は、「“今の私”は“今までの自分の思考”でできている」という当たり前のようなことを改めて知りました。 

その“今までの自分の思考”で送ってきた人生が満足なものなら素晴らしいことです!ただ残念なことに私は、「もっとより良く生きられたはずじゃないの?」と思ったのです。。

だからその時から未来の私のために、「肯定から始める」人生、「本当の希望」を生きるぞ!と決意したのでした。

 

「あーすればよかった」と思い出す作業は、暗く後ろ向きな事だと思っていましたが、 

自分の過去を整理整頓することは、実はとっても未来を見ていて建設的なことなのです!

 

 

突然ですが、人は死期が近づくと人生を走馬灯のように想い出す、と言いますね。

その人がどんな風に考え生きてきたかを、「間違いないですね?これがあなたの人生ですね?悔いはないですね?」と私達に問いかけているのかもしれません。

誰が問いかけているのでしょうね? ハイヤーセルフ、内なる神、魂?・・かな。

 

この2012年から始まった私の中の自問自答や、縁ある人達との再会と記憶の整理は、生きながらに走馬灯を見せられていたのではないかと思うんです。

 私はその3年後に乳癌を告知されるわけですが、命を正面から見据えるという試練の訪れが決まっていた私に、私の魂は振り返る時間をくれていたのではないでしょうか。

「あなたの人生これで間違いないですか?では今世これで満足ですか?・・あと3年どう使いますか?」

そう問いかけられたように思わずにはいられないのです。 

 

でもこれは今だから思う事です・・

 

一旦ここでたたみ、『大きな気づきと幸福感』に続きます。

 

mruru.hatenablog.com